師匠と卵 ―卵 ミドリガメへー
2021年 11月 14日

朝、テントを叩くもの音で目が覚めた卵。外は雨だった。
時計を見ると5時を示している。
昨夜は 犬との戦いに疲れ果てて眠ったので、何時に寝たかも定かには覚えて居ないが、さすがに頭がボーッとして、そのままテントの中で雨音を聞きながら、 抜け殻化していた卵だった。
「さあ行くぞ!」とは言っても、雨の中でのテントの撤収は、慣れていないタマゴには大変で、荷物をまとめた頃には、もうクタクタだった。が、ここに留まっている訳にもいかない。7時、卵は出発した。
ここで卵の雨用装備を紹介しよう。歩き始めは小雨だったので、濡れたら困る荷物にカッパを着せて歩いていたのだが、その内に雨が強くなり、そのカッパを人間が着た。
次は荷物の番である。濡らしたら困るのであるが・・・・、 卵は思案に暮れた。
そうだ!取り出したるは緑のシート(ブルーではない)、工事現場などで使うアレである。早速荷物を覆ってロープで縛る。
しかしアルミ製背負子の上に40Lのリュック、その他テントやらシュラフやら、鍋やら炊事道具やら何やらかにやらである。覆ってみるとそれは緑の丸い物体であり、背負って歩くその姿は、まさにミドリガメ、なのであった。
歩くミドリガメ状態のまんま、雨の中、卵は内海町をとぼとぼと越えた。そして嵐というバス停まで辿り着いた濡れミドリガメの卵は、バス放浪者への方向転換を決めたのであった。いうてみれば、雨に負けた亀、であった。

バスが到着し何人かのお客さんが乗り込み、いよいよ最後に残った亀の番になった。のだが、入らないのである。
バスに乗れない!乗車拒否か!亀は乗せないのか!そんなことはない。ただ荷物が大きすぎて入れなかっただけであった。
そこで卵は横向きになって、やっとのことでバスに乗り込んだのであった。が、今度は通路を歩けないことが判明した。ここに至って、ようやく荷物を下ろすという、ごく簡単なことに気づいた卵であった。
クス、クスクスクス。低―く、漏れ聞こえてくるほかの乗客たちの笑い声に包まれて、ウワジマまで狸寝入りを決め込んだ、濡れミドリガメの卵であった。

野宿志向放浪者からただのお四国放浪者へと華麗な変身を遂げた卵にとって、一番の問題は、ネグラの確保となった。

自作の本、五〇冊の売上金、20マンエンだけが放浪費用のすべてという卵にとって、旅館やホテルの敷居は見上げるだけで首が疲れるのである。
かといって昨夜のお犬様事件以来、野宿というのも、彼の根性が許さなかった。
安宿確保の為、まず卵はユース・ホステルに電話、しかし現在改装中。次、41番に電話、宿泊不可能。次、今度は43番、矢張り宿泊不可。
スケジュールの変更を余儀なくされた卵は、仕方なく宿未決定のまま、JRで41番リュウコウ寺近くの宮野下まで行き、歩いて42番ブツモク寺を経て、再びバスで宇和島まで辿り着いたのであった。
ここで、根も葉もない・・・のか有るのか分からない、噂話をおひとつ、いかが?
話の主は、○○番札所からバスで一緒になったオバちゃん。
「戦前この○○寺も荒れ寺でね、新しくお坊さんを迎えようにもそのお金がなくて、困っとったんじゃ。
そこでじゃあ、地元のモンがお金を出し合うて、衣を買ってあげたそうな。味噌やら醤油やらの貸し借りもあってのう、それはもう、みんな仲良く暮らしておったそうな。
ジャガーのう、戦後、八十○ヶ所がブームになってからというもの、変わってしまったそうじゃあ。
今では、小学生の遠足も立ち入り禁止ということじゃ。
新しい家は1億円もかかっているそうな、めでたし、めでたしじゃのう。」
何時の間にかお爺さんに変わってしまったオバちゃんであったが、最後に大きなタッパーに一杯詰まった豆ご飯を卵にくれて、バスを降りて行ったのであった。因みに卵は豆ご飯が大嫌いであった。
宇和島駅に辿り着いた卵は、最適なネグラを確保することに成功した。それは駅近くのサウナ。五百円でサウナに入れて、その上に2階に部屋があり、そこにある2段ベッドで眠れるという、夢のようなお宿であった。
サウナに入って濡れた身体を温めて、温かい二百五十円のおうどんと、大嫌いなマメご飯を頬張りながら、卵は至福の時を過ごしたのであった。
さて、食欲の次は睡眠欲である。昨日とは打って変わって暖かで静かな夜、とはならなかった。今度はネズミが床を走り回っている、お宿であったのである。
因みに、大嫌いな、しかも膨大な量の豆ご飯は、全て卵の胃の中に投入された。
―つづくー
続きません。ここまでで終了です。
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